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廣澤灯喜選手(ポルティモネンセ)インタビュー(前編)

第99回全国高校サッカー選手権大会で優勝を果たした山梨学院高等学校。

その優勝を決めた決勝戦において先制点を奪った廣澤灯喜選手。

優勝に貢献した彼は今ポルトガルに活躍の場を移し、夢に向かって歩みを始めています。

今回そんな彼にインタビューを実施し、海外挑戦を志したタイミングや山梨学院在学中から海外移籍に至るまでの経緯について、その時の自身の心境なども踏まえて語ってもらいました。

目次

夢だった環境が目の前に。やってやるって気持ちしかなかった。

Q海外挑戦を考えるようになったきっかけは?

小学5年生の時に日本で開催されたレアルマドリードのキャンプに参加したことがあって、

その時スペイン人コーチが来てそこで評価して受かった選手が数名スペインに行くっていう機会があったんですけどこれに選んでもらってスペインに行ったんです。

その時スタジアムに行って、いいプレーをすると(スタジアムが)沸くんですけど悪いプレーをすると、この人たち(現地のサポーター)選手たちに対して危ないことしちゃうんじゃないかってくらい批判をしてたりとかを見て、そういったところでやりたいと思ったのがきっかけですかね。

「(海外に)いきたい、いきたい」と思ってても結局自分の力でいくっていうビジョンが全然見えなくて「いきたいいきたい」と気持ちでは思っていたんですけど自分の中でじゃあ「どうしたらいけるんだろう」とかは高校までというか本当に選手権までは明確ではなかったですね。

Qポルティモネンセからのオファーの経緯は?

最初はまず単刀直入に海外からオファーがあるっていう風に話をもらって。

後日代理人と選手個人同士で高校生に対して話すのもいきなりいろいろ不安とかもあると思うから家族も入れて一緒にzoomの形で本格的な話をしていこうというのが一番最初でしたね。

(高三の)夏に手術をして進路を決める時期に何もできなかったりとか、プリンス(リーグ)も秋ぐらいに復帰はしたんですけど全然自分は試合に出られなかったので(進路は)山梨学院かっていうのがあって、そんな中で本当に自分がずっと夢見ていた海外でサッカーができるっていうのが現実になったのでもう即答で本当に迷わなかったです。

Q何を見て評価されましたか?

選手権の決勝の得点の部分だったりとかドリブルとか技術の部分とかそこはやっぱ見てくれたとは言ってくれてますね。

あと動画を作ってくれたじゃないですか?

山梨県予選が終わった後、その動画とかもポルティモネンセ側も代理人も見てくれたらしくてそこでドリブルとか技術っていうのは通用することを言ってくれましたね。その動画は見たって言ってくれました。

Q海外へ挑戦することに不安はなかったか?

正直なかったですね。実際行く前の気持ちはもう行っちゃおうみたいな感じでしたね。

海外はすごいレベルが高いと思ってましたし、身体つきだったり、元々ものが違うと思ったんで、もう自分のドリブルが通用しないなら通用しないでいいやとかそこでだめならだめでもうしょうがないっていう風な気持ちでいきました。

それに日本にいるという選択をしてたら多分一生後悔してたと思うんでやれるかもというかやってやるという気持ちしかなかったですね。

海外は自分にとって本当にサッカーに集中できる環境だった

Q海外で最初に感じた日本との違いは?

まず最初にロッカールームに行ったんですけど、日本人って試合の前とか練習の前とかって1人の時間を大切にしたいって言うのがあると思うんです。1人で音楽聞いたりとか。でも海外だとみんな真ん中のテーブル使って、テニスやったりとかでそこの部分が日本と違うなと思いますね。

あと、日本って結構上下関係が厳しいじゃないですか?

どの年代でもあると思うんですけど。でも海外だと例えば自分のマネージャーとかが30か40才とかで、自分からしたら大先輩の大人なんですけど。

でもマネージャーは自分(廣澤選手)のことを「よお、友達元気?」みたいな感じで接してくれたりとか。だから自分にとっては本当にサッカーに集中出来る環境だなって思いましたね。

Q言葉の壁はどう乗り越えたのか?

最初は身振り手振りでとか英単語だけで何とかやってましたね。

それが実際に来て毎日勉強してればしゃべれるだろうと思ってたんですけど全然です(笑)。

今半年(取材当時)ちょっと経ったんですけど言ってることとかは練習内容とか何セットやるみたいなのは分かるようになったんですけど、自分がいざ戦術を話すとか自分の考えていることとかを聞かれてパッと話すってなると全然話せないですね。

でも意外と細かい戦術っていうよりも監督は結構しぐさとか実際に練習を止めて、監督自身がやってくれるんで全然苦労はしていないですね。

本当に英語をどんどんしゃべれるようになってきて、監督も結構英語しゃべれる人なんで伝わりますし、すごい難しい戦術をやってるっていう感じでもないです。

Q渡航後に最も大変だったことは?

自分のホテルがちょっと町から離れているところなんでタクシーを利用するんですけど

その時自分は日本のカードを持ってなかったし、それに携帯も日本のSIMカードじゃなくてこっちのSIMカードだったんで自分の電話番号とかないんですよ。

だからUber(タクシー配車サービス)の銀行とかも登録できなくて街とかにも行けなくてほんとに1か月に1回マネージャーが連れてってくれてそこでいっぱい買ってみたいな感じだったんです。

スーパーに行ってもどれがおいしいか分からないからほんとに食の部分では困りましたね。オフシーズンまでは。

だから行く前にやっぱり海外の選手の話とかを聞くのっていいことだと思いますね。自分みたいに何も知らないでポンっと来るよりは。

高校卒業と同時に海外挑戦。「ビジョンがなかった」と話をした彼には不安などなく迷わず海外に向かったと語ってくれた。

公開している動画には入りきらなかった部分でも彼は契約などの事は代理人まかせ自身は海外でのサッカー人生や生活などに胸躍らせていたと語った。彼の挑戦への迷いのなさや海外挑戦に対する考え方は高校3年生離れしたものがあり、インタビュー中、大変だったことを話している際も終始笑顔で答えてくれる。

後編の記事ではその彼の現在。海外でのサッカー面についてなどを語ってもらった。


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